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日常に寄り添う「歌」のチカラ

 5回目を迎えた京都音楽博覧会、略して京都音博。今年ようやく来訪することができた。台風一過の気持ちの良い秋晴れとなった3連休の初日9月23日、京都駅から歩いて15分ほどの<梅小路公園>が会場だ。公園の中で開催していて、音楽祭に来た人とそうでない人が混在し、それぞれ思い思いに休日を楽しんでいる様子は、数年前に訪れたドイツの歴史あるジャズ・イベント「メールス・ジャズ・フェスティバル」を、少し思い出したりもする。人里から離れた山の中などではなく、大きな街の真ん中で催すイベントだから、人々の憩いの場として日常にしっかりと寄り添い、市民生活に根付いていることが実感できる。ステージの前はスタンディングエリアで、後ろのほうはレジャーシートを敷いてゆったりと楽しもうとする人たち。家族連れや、年配の夫婦連れも多い。一部の音楽好きの若者だけを対象にしたイベントではないのだ。

京都音楽博覧会1

 12時ちょうどに、主催者である、くるりの開催宣言。震災の影響で開催中止も考えたことなど、木訥な語り口ではあったが、思いのこもった言葉が岸田 繁の口から発せられ、いよいよトップバッターの小田和正の登場だ。
 いきなりピアノの弾き語りで「東京の空」。最新作『どーも』収録曲だが、先日最終回を迎えたばかりの話題のドラマ「それでも、生きてゆく」の主題歌としても使われた。しっとりとしたメロディアスなバラードで、大きなフェスティバルのオープニングとしては異例と言える曲だが、会場はすっかり静まりかえって聞き入っている。筆者など、ドラマの感動的な場面などを思いだし、思わず涙腺がゆるみそうになってしまった。
 それにしても小田の声が素晴らしい。そろそろ60代半ばに達するとは思えないほど若々しく張りのある高音は、ただそれだけできく聴く者に切ない感情を呼び起こすような「ドラマ」を感じさせる。先日取材した小室哲哉が、小田の声の魅力をため息混じりに語っていたが、それも納得できる。

京都音楽博覧会2

 そしてくるりのふたりと、この日の出演者でもあるフジファブリックのメンバーなどを呼び込み、「恋は大騒ぎ」をセッション。そして、これだけ両者とも長いキャリアがありながら、3年前の音博で初めて会ったという細野晴臣がそこに加わり、なんとはっぴいえんどの名曲「風をあつめて」をプレイするという、いきなりの大サプライズ。その後は再び小田ひとりになって、ギター弾き語りで「たしかなこと」。2006年発売シングル曲だが、岸田のたっての希望で歌うことにしたという。深い感動と余韻を残して小田は静かにステージを去っていった。フェスは始まったばかりなのに、いきなり豪華なメインディッシュでもいただいたような気分だ。
 続く10-FEETは、アコースティック・セットで登場。街中でのイベントゆえ大きな音が出せず、彼らのようなパンク系のバンドも、場にあった演奏になる。つじあやのをゲストに迎えたものの、彼らとしてはアウェーな気分で、やややりづらさがあったかもしれない。
 続いて登場したのは艶歌の大御所石川さゆり。4人編成のミニマムなバンドを引き連れての登場だ。「津軽海峡冬景色」「天城越え」といった大ヒットを含むステージは、まさにプロのショウ。さきほどの小田和正もそうだが、プロの世界で何十年も歌い続けている人は基礎体力が違う。喋りがチャーミングで、滑舌がよく、人を惹きつける。その歌声の力強さ、艶っぽさは、広い会場の隅々まで届きそうな迫力だ。その姿には、たったひとりで「石川さゆり」という看板を背負い続けてきた彼女だけが持つ凄みが漂っていた。彼女のような本物のオトナの歌手に比べると、バンドというのは良くも悪くも青春の産物なのだと思わされる。そして彼女の歌には常に気品が漂っている。男女のドロドロの情念を歌い上げるような歌詞でも、決して下品にならず、しとやかな色気のようなものが香り、だからこそこういうイベントでも浮くことなく、見事に調和しているのだった。

京都音楽博覧会3

 続く登場はフジファブリック。メンバー3人プラス、パーカッションでBoBo、という編成で、1年半前に急死した志村正彦の代わりに歌うのは山内総一郎だ。フロントマンとして会場をぐいぐい引っ張っていくようなカリスマ性はまだなく、ステージさばきも、ややぎこちない。だが、実に誠実に、真摯に観客に向き合い、歌を紡いでいく姿勢には感銘を受けた。最初はやや観客との呼吸が合わない場面も見受けられたが、徐々に良い感じで客席と一体化した温かい盛り上がりが楽しめた。
 そして大ベテラン細野晴臣が登場。はっぴいえんど、YMOなど、日本を代表するロック・バンドを歴任した大物は、マンドリンやペダル・スチールを弾く高田漣とふたりでステージにあがり、ゆるーい世間話のMCを交えつつ、ワビサビの極致のような弾き語りを披露。喋りから歌に入るタイミングが絶妙で、同じベテランでも小田和正のように巧みに歌い上げるというタイプではないが、キャリアの積み重ねを思わせる、昨日今日の若造では絶対到達しえない境地と、年齢を感じさせない若々しい声が共存していた。クラフトワークの「放射能」のボサ・ノヴァ・カヴァー(もちろんこの時期にやることには意味がある)を含む全6曲。最後はくるりと共演しての「Roochoo Gumbo」だった。
 そろそろイベントも終盤。マイア・ヒラサワがしなやかな歌声で観客を魅了したあと、斉藤和義が生ギター1本を持って登場。この人のライヴを見るのは久しぶりだったが、まさしく言葉通りの意味でのシンガー・ソングライターであり、70年代フォークの精神を正統に受け継ぐ存在であると改めて確信した。言葉が明瞭で強いので、歌詞の伝達力が桁違い。政治的/社会的な視点をもったメッセージ・ソングも、ただ主義主張を投げつけるだけではなく、人の心に石ころを投げ込んで波紋を巻き起こすような、そんなしなやかな伝播力がある。大ヒット「ずっと好きだった」のストレートなラブソングのチカラに感動していると、メドレーでその替え歌「ずっとウソだった」に突入。話題になった反原発のメッセージ・ソングだが、隣で観ていた原発賛成派らしい人たちのヤジがとぶ。だがそうして波風をたて、議論を引き起こし、人々に問題を考えさせるのが斉藤の狙いであり、そうしてさまざまな立場の人たちを等しく呑み込み許容するのが「京都音博」の良いところだろう。曲間の喋りではボソボソと何を言っているのかわからない斉藤が、歌になると別人のようによく通る力強い声を張り上げ意を伝えようとする、その落差に<プロ>を感じたりもした。彼は歌の、言葉のチカラを信じている。その姿勢に共鳴した。
 そしてこのイベントのトリは、もちろん主催者であるくるり。高田漣とBoBoを加えた7人編成でのアコースティック・セット。くるりも久々に観たが、サウンド面では、以前よりはるかに豊かになっていた。コーラスが多用され、70年代初頭のアメリカのカントリー・ロック──バーズとかCSN&Yとか──を思わせるゆったりとしたサウンドが実に味わい深い。テクノを導入したり、クラシックに挑戦したり、さまざまな意欲的な試みを行ってきたくるりだが、いまの音楽性が、一番自然で無理のない姿という気がした。オールド・ジャズや東欧っぽいブラス・バンド風の音楽性も交えつつ、昔の歌謡曲や唱歌を思わせる素朴な歌心も感じさせる演奏は、長いイベントの最後を飾るにふさわしい、素晴らしいものだった。最後は小田、石川を除く全員がステージにあがり名曲「リバー」を演奏。岸田から観客への感謝の言葉が述べられ、1万3000人という人たちを呑み込んだイベントは、感動的なフィナーレで幕を閉じたのだった。

Text by Dai Onojima